「宇宙へ行けたら何をしてみたい?」
子供のように瞳を輝かせて話した彼に、そんなの夢物語と私は笑ったものだった。
「わからないじゃないか、そんなの。俺達にはできなくても、俺達の子供の世代にはそれが普通になっているかもしれないぞ」
「その時、私たちは生きていないんだから、行けないことには変わりないじゃない?」
「そうか」
反論すれば鳩が豆鉄砲を食らった顔で、素直に頷いた彼を見て、私は再び笑った。
「ああ、でも宇宙へ行けたらなぁ」
「行けたらどうするの?」
「さあな。何がしたいんだろうな。わからない。わからないけど…」
青い空を見上げる。
太陽光は大気圏を通過する間に、青以外の波長が吸収されてしまう。だから空は青い。
リツ
は、いつも不思議に思う。
こんなにも青い空が、夜にはまったき闇に変わってしまうことに。
地球の自転や太陽の周囲を廻っているという科学的説明を受けたとしても、時間の変化によってこうも鮮やかに色を変える大気を、不思議に思う。
そう言うと、今度は彼が笑った。
「お前、よくそれでここにいられるよな」
「何よ、想像力の方が大事なんだから」
謎を解くためには、まず謎が何なのかを知らなければならない。
事実から飛躍する力。人間にだけ与えられた、論理や合理性では説明できない心。
ああ、そうか、と納得する。
だから彼は宇宙へ行けたらと呟くのだ。
不思議だと、何か心惹かれると、そう思う心があるから。
「ああ、そうだ」
「なに?」
「俺が宇宙へ行けたら、その時は…」
02
はにかんだように笑う彼の声が遠ざかる。
そのかわり、急速にせり上がる光。
「その時は…」
何と呟いたのだろう、目覚めた
リツ
は思った。
天井から降り注ぐ人工物らしき光の眩しさに一度目を閉じ、馴らすよう何度か瞬きながら視界を開いた。
「ここは…」
先ほど目覚めたときと同じよう、全く覚えのない景色が目の前に広がっている。
覚醒したことに反応したよう、電子音が響いて透明なカバーがするすると持ちあがっていった。やや冷たく感じる温度の気流が密閉されていた空間に流れ込んで来て、
リツ
は小さく身を震わせた。
眠る前まで全身を襲っていた虚脱感はなく、今は体内を巡る血流の強さを自ら感じるほど、隅々まで力が行き届いているようだった。
右腕を上げる。掌を頭上にかざす。一度握りしめ、再び開く。
「動く…」
確かめるよう、体のあちこちに力を加えていく。
左腕を曲げて肩を持ち上げる。背中から首にかけて筋肉を意識して頭を起こし、腹筋を使って腰を折る。
上半身を起こすという簡単な動作。
先ほどはできなかったその動作を、
リツ
は今は成功させることができた。
首を巡らせて周囲を見渡す。
無機質な内装。見栄えの良さなど切り捨てた、機械的な空間だった。
自分が眠っていた入れ物を見ると、ポッド状のタンクのようにも見えた。おそらくこの中で治癒力を高めたりするのだろうと、
リツ
はあたりをつけた。先ほどまで何も身に付けていなかったはずの身体は、青い手術衣のようなもので覆われている。
記憶を思い返してみると、セツナとかいう少年に抱えられ、自分は大きな機械人形によってどこかへ運ばれたのだった。
その機械人形の中で見たものは、宇宙だった。
「宇宙…か」
黒い一面の闇にばらまかれた星の粒たち。
思い出す記憶の断片が、頭の中に連なっていく。
「ひどい奴ら…」
リツ
は誰も聞くことのない呟きを一つ落とし、そして次の瞬間には意識を切り替えていた。
「よし。とにかく状況把握」
ゆっくりとポッドから足を下ろし、室内を歩いてとにかく情報収集に努めようと思ったのだが、まるで見覚えのない物体ばかりが並んでいて、どこをどう触れば情報が出てくるのか、皆目見当もつかなかった。
とにかくディスプレイと情報入力用のキーが配列された装置を見つけ、情報端末の類かと手を置く。おおよそのシステムは、以前、自分が使っていたものと同じだろうと思ったが、あいにくログインにロックがかけられている。
「そりゃそうよね…」
この手のシステムには必要不可欠なゲートである。
「うーん、どうにかして見れないかな」
呟きキーボードを適当に叩いて思いついたパスを打ち込んだ。
ENTER。
「これでログインできたら私天才かも、ってそんなわけ…あった…」
数億、数兆、もしくは無限もの組み合わせが存在しうるパスを一発で当てるとは、自分は何か超能力の類でも獲得したのではないかと
リツ
は思わず我が目を疑った。
「……」
まったく不気味なことだった。自分は確かに勉学の類はよくできたが、数限りない可能性から瞬時に正解を選びとれるほどの高速演算機並み計算能力は兼ね備えていない。
考えていても謎は解けず、
リツ
は我が身に降りた偶然を、幸運として処理することにした。
「まずはこの場所の情報を得なきゃ」
そうでなければ、どこかへ行くこともできないし、ましてやいざという時に逃亡すらできない。
情報端末を操って得られた情報によれば、
リツ
のいる場所は宇宙空間に浮かぶ一隻の宇宙船ということだった。名をプトレマイオスと言い、トレミーが愛称だという。
なかなか素敵な現実だ。逃げ出すのは難しそうであるし、
リツ
はとりあえず短期的目標を決定した。
このトレミーに乗船するクルーと友好的接触を図り、情報を得ること。
加えて、先程セツナが動かしていた機械人形に抱いている疑問を確認すること。
「お腹も減ったなあ…」
食べ物を入手すること、を目標の項目末尾に
リツ
は付け加えた。
リツ
は早速、目標に向けて行動を開始する。
情報端末を操り、
リツ
はクルーに関する情報を入手することにした。医務室という場所柄、クルーの身体的特徴に関しての情報は端末に沢山詰め込まれている。
「これは、さっきのセツナ…セツナ・F・セイエイか。こっちの人も見た。ロックオン・ストラトス。他には…」
ざっと調べた限りでは、現在この船には三名の女性と、八名の男性が搭乗しているようだった。年齢の項目は空白だったが、二名の男性以外は皆ずいぶんと若い顔立ちをしている。
一体、この船はどのような組織に属している集団なのだろうか。
あの機械人形が一般的に普及しているものであれば、
リツ
の心配は杞憂となるだろう。しかしあれが特別なものである場合は。
「あいつら、近くにいるのかな…」
リツ
は呟く。トレミー内にはいないが、彼らに関する何らかの手がかりを、得ることができるだろうか。
「一発、ぶんなぐってやる」
とりあえず、これは長期目標に分類せねばならないだろう。
情報端末を調べても、乗員の健康に関するデータ以外はなさそうだった。端末の所有者のものらしき幾つかの未完の論文を眺めてはみたが、畑違いな上に不明な単語が飛び交っていたためすぐに閉じた。
「さて、ここから得られるものはこれ以上何もない」
そして誰も来ない。となれば、自ら誰かがいる場所へ出向くのが筋ではないだろうか。
室外へと続く扉の側のセンサーに触れると、何の抵抗もなくドアがスライドした。どうやらこちらにロックはかかっていなかったようだ。
リツ
は一歩踏み出し、そしてどこへ向かうべきか思案した。
とりあえず、船というものは構造的に船首か船尾には重要な機関があるものだ。
どちらかには必ず人がいるだろうと、
リツ
は左へと向かってのんびりと歩を進めた。
数分後、トレミー内で大騒動を繰り広げることになろうとは、このときの彼女は微塵も想像していなかった。